エクササイズって健康的?

「2週間で腹筋を手に入れる方法」

「座ったまま二の腕と背中を細くする」

「これだけでOK!全身マジ痩せHIIT」

「下半身痩せエクササイズ」

「脚が痩せてお腹も引き締まる飛ばない立ちエクササイズ」

「食後にこれやるだけで痩せた!」

 

これ、何だと思いますか?

YouTubeで「エクササイズ」と検索したら、ずらっと出てきたエクササイズコンテンツのタイトルです。

 

そして、どう思いましたか?

「わー、これ、よさそう」

「これなら、簡単そう」

「こんな短期間で結果が出るなら、やってみようかなー」

 

20年前の私は、これらのタイトルを見て、間違いなくこんな風に思ったと思います。

そして、実際に、その頃はYouTubeなんてなかったけれど、女性ファッション誌に掲載されている「痩せるエクササイズ」特集などを参考にしながら、スクワットだとか有酸素運動に励んでいた時期もありました。

そして、今はどう感じるか?

正直ゲンナリです。

 

痩せる、激痩せ、痩せすぎ注意、引き締める、痩せる、くびれ………………

これらのタイトル全てが「見た目を変える」ためのもの。

そして、それらの見た目の全てが「サイズを小さくする」ためのもの。

 

ものの見事に、健康な体づくり、強い体づくり、などを筆頭に掲げたコンテンツは見当たりませんでした。

もちろん、もっと検索を続ければあるのでしょうが、トップに上がってくるのがこういった体型に絡んだタイトルのものたちだったということです。

 

そもそも、エクササイズって何のためにするのでしょうか?

スタミナや持久力を上げたいから?

筋力をつけたいから?

病気、怪我予防のため?

スポーツやパフォーマンスを向上させるため?

マインドフルネス、精神的な自信や健康のため?

体重、体脂肪を減らすため?

ボディメイクのため?

単純にエクササイズが楽しいから?

 

正解なんて決してないし、これらのいくつかが目的かもしれないし、これらすべてが目的かもしれません。

エクササイズの目的は人それぞれです。

 

私は、年齢を重ねても体の外からも内からも痛かったり苦しいところが可能な限りなく、できルだけ長くできるだけ制限なく動ける体でいたい、自分の心と体をケアしてあげたいからエクササイズをしています。

今はもう、体型や体重のためにエクササイズはしていません。

 

でも、間違って受け取られて欲しくないのは、何もボディメイクのためにエクササイズをすることを否定しているわけでもなければ、自分自身、体型をちっとも気にしていないというわけでもないということです。

自分の好きな体でいられることは気持ちがいいし、仮にその自分の好きな体を褒められることがあるとすれば、素直に嬉しくもあります。

でも褒められるのはおまけの部分で、もし自分の体型をけなす人がいたとしても、それはそれでいいんです。

 

身長が高すぎる、低すぎる

太すぎる、細すぎる

ムキムキすぎる、貧相すぎる

胸が大きすぎる、小さすぎる

長すぎる、短すぎる

黒すぎる、白すぎる

この世は、容姿や体型をジャッジする言葉で溢れかえっています。

人からネガティブな言葉を浴びせられれば、決して愉快な経験ではないのは確かです。

時に、ネガティブな言葉、というのを通り越して、すごく意地悪で陰湿な言葉や言い方も残念ながら存在するのも確かです。

そういうことが嫌で自分を変えたい、というのも分かるんです。

でも、そういった他人の評価を受ける度、自分の容姿や体型を変えていくのでしょうか?

しかも、好みや美的感覚は人それぞれ異なるし、同じ人物であっても時と共に移り変わっていく全くあてにならないものです。

他人は無責任に好きなことを言って去っていけるけれど、自分の体は自分が死ぬ瞬間まで付き合っていくことになる大事な体。

自分が責任者である体を、他人の無責任な意見を反映して変えようとするのは間違っているし、幸せなこととは思いません。

 

私が若い頃、当時は「細い体」がトレンドでした。

ファッション雑誌の表紙をキラキラ飾るのは、こぞって細い体のモデルたちで、細いと「スタイルいいねー」と言われる時代でした。

私は些細なきっかけでダイエットを始め、当時の流行の細い体を手に入れ、人からチヤホヤされるようになった時期がありました。

思春期に身長が高いことで、からかわれた経験から体にコンプレックスがあった私にとっては、人からチヤホヤされる人生初めての経験は気分を良くしてくれ、なんだか認められたような気にもなり、それが自信にもなりました。

ところが、、、幸せとは違うんですね。(その後、摂食障害に陥ったこともありますが)

全然、心がほんわりあったかい気持ちで満たされるような、人生に感謝したくなるような、そんな気持ちで毎日を過ごしていませんでした。

むしろ、その逆でした。

流行の体を手に入れたから、次は維持し続けなきゃ、と追われる思い。

私は、本当に自分がなりたい体になったわけではなく、当時の世間一般に受け入れらやすい「美とはこう、あるべき」という価値観に応えようしていただけでした。

その時は、そんな風に流されているとは思わず、「〜なりたい=自分の願望」としか思っていませんでしたが。

 

とにかく、そんな脅迫的動機から体型維持しようとする工程は、全然心がワクワクするはずも楽しくもなく、他者からいいねと言ってもらって得られる他者承認の感覚も一時的には気分を良くしてくれても本当の幸せとは違いました。

そして、無茶な食事制限による摂食障害という「ツケ」や体に起こった不調は、当然他の誰でもない自分に返ってきたのは言うまでもありません。

 

私は、今、きっと世間一般受けしない体型をしているんだろうと思います。

特に太ももは筋肉がついて、デニムにしたって大きいサイズかゆるゆるデニムしか履けなくなりました。

セルライトだって、ストレッチマークだってあります。

でも自分の体が今までの中で一番好きです。

誰に何と言われようと、仮に少し嫌な思いになったとしても、それによって自分の体を変えたいとはちっとも思いません。

そして、体型が加齢だけでなく人生に起こる色んな出来事によって、この先どんな風に変わっていっても変わらず自分の体を好きでい続けると思います。

それが自分の心と体の両方を大事に労ってあげた結果の体であるのならば。

 

私がなぜ冒頭で、外観(特に痩せる引き締める)を謳い文句にしたコンテンツにゲンナリすると言ったのか…。

ゲンナリというよりか、心配といった方が正しいです。

何度も言いますが、ボディメイクがエクササイズの理由の一つにあったって全然いいと思うんです。

先に言ったように、他者承認が絶対的な幸せを与えてくれるとは思いませんが、ボディメイクの結果、人から褒められて自信がつく、というポジティブな結果が得られるのであれば、それはそれでいいことかな、とも思います。

 

ただ、私が憂えるのは、そういった「痩せる痩せる引き締める‥」コンテンツで溢れかえっている現状が、

「エクササイズと言えば、カッコイイ、綺麗な体を作るため、

カッコイイ、綺麗な体と言えば、細い、引き締まった体」

というような偏った価値観をどうしても煽ってしまいがち、ということです。

特に、昔の私のように若い女性は、そういった風潮に影響を受けやすいとも思います。

 

私は、ふっと思うんです。

エクササイズって健康的な響きがあるけど、果たして健康的なのかな?と

細い体がトレンドの時は、ダイエットブーム。

ダイエットによる摂食障害や弊害、健康被害などが表立ってくるようになって、細い体から引き締まった体がトレンドになりつつある近年は、筋トレ、痩せるエクササイズブーム。

…これって、方法がダイエットからエクササイズにすり変わっただけ?!と。

時に、エクササイズにまるで依存しているかのように見える人さえ見かけます。

食べた分、エクササイズで取り戻さなきゃ!というように。

 

痩せるために運動しなきゃ

食べすぎたから運動しなきゃ

自分の〇〇の部分が嫌いだから運動しなきゃ

 

何かに追われてするエクササイズ、その時々のトレンドの体型、ボディイメージを追い求めてのみするエクササイズは、あまり楽しそうに見えないし、精神的に健康な状態を保ったまま長続きしそうとは思えないんです。

 

私はただ単純に、一人一人がどんな体型であっても自分の体を唯一無二の体で魅力的と思ってほしいし、自信を持ってほしい。

自分の体のどこかの部分が嫌いだからエクササイズをするのではなくて、自分の体を好きで大事に労ってあげたいから、エクササイズしてほしい。

極論を言えば、エクササイズを始める最初の動機は、別に見た目のためだけだっていいんです。

でも、続けるうちにエクササイズは見た目を変えるため以上に、健康で強い体づくりを含めて人生を豊かにすることができるパワーも持ったツールだという風に思う人たちが増えてほしいと願っています。

 

 

もし、あなたが今ボディメイクのためだけにエクササイズをしているとするならば、そのなりたい体は本当にあなた自身が望んだなりたい体ですか?

エクササイズをすることによって、日々幸せな気持ちを得られていますか?

 

摂食障害克服編⑤〜摂食障害を乗り越えて【完結編】

今日はいよいよ、私が摂食障害を克服したお話についてです。

 

私は、ここまで自分が経験した摂食障害について色々書いてきましたが、いつも誰が私のこのブログ記事に辿り着いて読んでくれているんだろう?と想像しながら書いてきました。

あなたは、今現在摂食障害に悩んでいるのですか?

それとも摂食障害に悩む人のご家族であったり、助けになってあげたいと思っている人ですか?

もしくは、偶然目にしているのかもしれませんね。

 

摂食障害の原因、症状は様々ですし、克服するきっかけもまた様々でしょう。私の克服体験記が他の誰かの克服にそのまま応用できるとは思っていません。

ただ、それがたとえ一人でも、何かしらのヒントになってくれればとの思いで、これから完結編を書いていこきたいと思います。

 

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摂食障害克服編④〜過食嘔吐と生きる20年【過食嘔吐社会人時代】

前回までは、拒食から過食嘔吐に移行した時のこと、そしてその始まりがどのようであったかについて書きました。

 

今日は、実際に克服に至るまでの20数年の過食嘔吐時代について、主に

  • 摂食障害者を支える家族
  • 生活がどのようなものであったか、
  • 心身にどんな変化が起きたか、

について書いていきたいと思います。

 

※具体的な表現も含まれますので、今現在摂食障害に苦しんでいた、もしくは過去に苦しんでいて、そういった文字を目にするのが辛い方、トリガーになると思われる方は読み飛ばしてください。

 

<摂食障害と家族の支え>

私は、大学生活を終えて地元に就職が決まり、実家に戻ることになりました。

両親には、私が大学の休暇中に帰省する度、「もっと太らないと」と言われていました。

それでも、当の本人である私が全く聞く耳を持たないこと、むしろ「太る」という言葉を聞くだけで、異常なまでにヒステリックな反応を示す娘をただ遠くから心配するしか出来ないような状態でした。

両親は、私が実家に戻り、昔と同じように母の栄養のあるご飯を食べ、規則正しい食生活を送るようになれば、そのうち自然と体重が戻るだろうと期待していたようでした。

ところが、その頃の私にとって、健康的な体重を取り戻すことも必要でしたが、何より「体重に取り憑かれた精神」の方が、もっとずっと深刻な問題だったのです。

両親がそれにまだ気づいていなかったのは無理もありません。

「摂食障害」という言葉を耳にしたことはあっても、まさか自身の娘が夜な夜な過食を繰り返し吐く、という行為を繰り返しているなんて想像もしていませんでしたから…。

 

一緒に暮らすようになり、両親が私の異常に気づくのに時間は全くかかりませんでした。

朝になると、戸棚にあったはずのお菓子の袋が一袋と言わず、丸ごと消える。

冷蔵庫にある食料もごっそり消える。

家族が寝静まった頃になると聞こえる戸棚や冷蔵庫をカサコソ漁る音。

そして、ある日は、階上から聞こえてくる「ウェッ」「ゲホゲホ」という音。

 

あなたが大事に思う人が、自分の経験したことのない良くない状況に陥っているのを知ったとき。

その状況から救ってあげたいとき。

あなたなら、何を思い、どうしますか?

 

きっと、それらは悲しみ、心配、不安、そして何より大きいのが、何をどうしてあげればいいいのか分からない、という戸惑いだと思います。

当人を引きずってでも、カウンセリングに引っ張っていく?

当人を見張り続ける?

当人に泣いて悟す?

 

私の両親も戸惑いました。

私はカウンセリングにかかることを頑なに拒絶していたため、両親はどうしたら自分たちが娘を救ってあげられるのか、どうしたら私の心を健全な状態に戻してあげられるのか、今してあげていることは果たして最善策なのだろうか、と悩み、戸惑い、それでも日々寄り添ってくれました。

母親は、ついには疲弊し、食べ物に異常な執着と拒絶を示す私を見ているうち、一時期ご飯が喉を喉を通りにくい状況になったこともあります。

父親は、長年のヘビースモーカーでしたが、「お父さんも禁煙頑張るから、一緒に頑張ろう」と我慢してくれたこともありました。

嘔吐物で家の古い下水管を詰まらせたことも何度もあります。

両親は、私を責めることはせず、ただ黙って修理に出してくれました。

数えきれない回数、一緒に涙し、幾度、今日で過食嘔吐を最後にしようね、と約束したか知りません。

私は、その約束に失敗する度、両親の愛情や期待を裏切り傷つける度、罪悪感と心から自分に嫌気を感じました。

それでもどうしても自分の摂食障害をコントロールできないのです。

自分を蔑み、そして絶望していました。

ここから抜け出すことができる日は来ない、出口のないトンネルだ…と。

 

<摂食障害の社会人生活>

最初に言うと、私は表面上では社会生活を問題なく送っているように見える摂食障害者でした。

摂食障害のせいで、会社を休むということも一度もありませんでした。

仕事を終えると、過食嘔吐の食材を買い込み、時には家族が寝静まるのを待って、時には晩御飯を済ませた直後から自室に引きこもり過食嘔吐する、といった生活でした。

過食は大体1時間近く続きました。

なかなか嘔吐できない時は、嘔吐するまで起き続けました。

会社を休むことはありませんでしたが、疲れていることが多く、会議中居眠りしてしまうことすらありました。

 

私は外出先と人といる時は嘔吐することはなかったので、外で食事する際には食べすぎないようにしていました。

食べすぎてしまったと思った時は、帰宅してから嘔吐しようと、むしろさらに量を食べ、そそくさとその場を立ち去るようにしていました。

友人たちにズバリと指摘されたことはありませんが、その食べる量からうっすら勘づかれていたのでとは思います。

 

過食は日に一度が大半でしたが、休日では二回に及ぶこともありました。

ほぼ毎日続くこともあれば、全く過食嘔吐しないまとまった期間もありました。

それは、家族以外の人と生活した期間です。

ある時点から、意志の力では過食嘔吐をコントロールできないと諦め始めていたので、それであれば物理的にできない環境を作り上げようと、環境を変えてみることにフォーカスしました。そして、環境から心の状態も変わっていくのではないか、と逆のアプローチを試みようとしたのです。

長い旅にも出ました。

結論から言うと、半分成功で半分失敗です。

成功の部分は、物理的に過食嘔吐が困難な環境では、しなかった、もしくはグンと機会が減ったこと。

失敗は、その物理的に過食嘔吐が困難な環境が解放されたら、症状が戻ってきたこと。

休止期と復活期を繰り返しましたが、完治に至ることはありませんでした。

 

<心身に起こった変化>

拒食期から過食嘔吐期に推移してからは、173㎝、37kgという極端な低体重から45kgくらいまで体重は戻りました。

一時期薄くなってしまった髪も次第に元に戻り、体は少し元気を取り戻しましたが、生理はまだ止まったままでした。

その頃は、細いモデルたちがこぞって雑誌を飾っており、「細い=美」のボディイメージが出来上がっているような時代でした。

身長が高く細い私は、周囲にもてはやされるという体験を人生で初めて経験し、そこに自分の価値とアイデンティティを見出だすようになっていました(克服編①でお話ししています)。

  •  細いから私は価値がある
  •  細い私が私だから、細くいないといけない

それは、細い状態を何が何でも失いたくない強迫観念に変わり、すると食べることは太ること、と信じ込んでいる私にとっては、自然と食べ物が敵になりました。

食べ物が敵になればなるほど、食べてはいけないと思うほど、当然ですが食べ物への固執は深くなります。

 

過食嘔吐の年数が長くなれ、顕著に現れ始めた体の変化の一つは、

胃酸により、歯が溶け始めたことです。

特に前歯へのダメージはひどく、最終的に私は前歯4本を差し歯にするまでに至りました。

胃酸による歯の溶解だけでなく、過食により食べ物が長く口に入っている状態は、多くの虫歯を伴いました。

歯は、修復が叶いません。

私は、一生歯の治療と共に生きていかなければなりません。

 

そして、過食嘔吐に陥ってから、3、4年経った頃からでしょうか。

体重が徐々に増加していきました。

過食嘔吐しないまとまった休止期間があったり、また症状が戻った復活期でも過食から嘔吐するまでの消化によって、45kgだった体重が10kg以上増加しました。

何年もなかった生理が戻ってきました。

その体重は、本来の私の過去の平均的な体重でした。

 

それまでは、異常なまでに細さや体重計の数値にこだわり維持するために過食嘔吐を繰り返していましたが、それらがもう存在しないのならば、もはや過食嘔吐はしないでいいはずです。

むしろ、過食嘔吐をせず規則正しく食事をした期間の方が、過食嘔吐する期間より体重は減少するくらいだったのです。

過食嘔吐をすることにより歯が欠けていったり外観や健康だけでなく、人生の大切なものが失われていくことすら十分すぎるほど、理解もしていました。

それでも私は過食嘔吐を辞められなかった。

なぜでしょうか?

それは、紛れもなく過食という行為が依存に変わっていたからです。

私は、過食をしたかった…。

シュークリームもアイスクリームもポテトチップスも唐揚げも丼も、もう浴びるほど食べたかった。

一日少しずつ、また明日食べればいいじゃない、ではなく、今日全部食べたかった。

もう規則正しい食事じゃ、物足りなくなっていたのです。

食べ物への異常な執着。

過食をできない生活を想像するだけで、イライラしました。

そうして、また過食嘔吐の生活に戻っていったのです。

 

外観のためや、(間違った)自己評価維持のために始まった過食嘔吐の末路は、異常食欲という依存だけが残されたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

摂食障害克服編③〜拒食から過食嘔吐へ【過食嘔吐学生時代】

前回では、私が経験した拒食期について書きました。

今日は、拒食から過食嘔吐に移行した時のこと、そして過食嘔吐に移行した後の生活や、私個人の体に起こった変化、心の状態などについて、前半後半に分けてお話ししていきたいと思います。

 

※前回同様、具体的な描写が含まれますので、現在摂食障害に悩んでいる、または克服していても、そういった文字を目にするのが辛い方、もしくはそれがトリガーになると思われる方は、読み飛ばしてください。

 

私は、拒食期の3−4ヶ月を通して、173センチで60キロ近くあった体重が37キロまで落ちました。

その時の私の一日の摂取カロリーは500キロカロリーも摂取していなかったと思います。

加えて、ウォーキングという負荷の低い運動ではあっても、毎日2時間近く歩き続けて、さらにカロリーを消費しようとしていました。

個人が一日に使うエネルギー(TDEE=一日の総消費エネルギー)は、主に3つの構成要素、すなわち、基礎代謝(RMR)と、活動と運動に使うエネルギー、そして食べ物の消化吸収に使うエネルギー(TEF)からなりますが、私の500キロカリーという摂取エネルギーは、特にまだ若く身長も高い私の体の基礎代謝に必要なエネルギーのおおよそ半分にも満ちていなかったと思います。

 

基礎代謝というのは、皆さん聞いたことがあると思いますが、心肺機能や呼吸を維持したり、細胞を新しく作り修復したり、体温や体の水分バランスの維持などの体の恒常性を保ったりする、生命を維持するために必要なエネルギーです。

そして、それに必要なエネルギーを体に与えてあげないということは、文字通り命を削っていたのです。

前回も述べましたが、その証拠に、まずは生命維持に最重要ではない生殖機能である生理が止まり、髪の毛を新しく作ることもままならないために髪の毛が薄くなり、真夏というのに暑くもなく汗もかかず、と体が外から内から全身で異常を現し始めていたのです。

 

そして、とうとうある日、私は電車を待っている時に足元から崩れ落ちました。

唾液のようなものが込み上げてきて、視界が暗くなり、うずくまったまま立ち上がることが出来ませんでした。全身が震えていました。

近くにいた親切な女性がすぐに駆け寄ってきてくれたのを覚えています。

自分でも初めて体験する体の異変が恐ろしく、どう対処していいのかも分からず、ただその女性が「救急車を呼びましょうか?」と言ってくれた申し出には、必死に抵抗していました。

どれくらいの時間そうしていたのか覚えていませんが、幸いしばらくすると回復し、家に帰ることが出来ました。

私は、その日初めて、「このままだと死んでしまうかも」、「もっと食べなければ」と決意しました。

 

もっと食べよう、と決意したすぐ翌日だったのかどうかは覚えていませんが、それは買ってきた食糧を全て食べてしまった日のことでした。

そこには、もう何ヶ月も我慢に我慢を重ね食べずにいたお菓子もありました。

量にすると、そんなに大した量ではなかったはずですが、すっかり食べないことに慣れていた私の胃と精神状態では、自分がとんでもない量を食べてしまったような気がして、途端に恐ろしくなりました。

 

私は、身近に過食嘔吐をしていた人がおり、それに対してネガティブなイメージを持っていました。

拒食と過食嘔吐が密接な関係にあるのを知りつつも、私はそうはなるまい!と拒食期から思っていました。

ところが、食べ過ぎたことへの嫌悪と吐き出してしまいたい気持ちは、そうした決意よりも、もっともっと強いものでした。

むしろ、「〇〇もしているんだから、私も今日の一度くらい、いいよね…」と、今から自分がしようとしていることへの罪悪感を打ち消すための理由づけにしていました。

 

そして、私は、人生で初めて食べたものを自ら戻す、という行為をしました。

過食嘔吐に悩む人たちが初めて過食嘔吐した後に泣いた、というのをその後、よく目にしましたが、私もそうでした…。

人として、汚れてしまったような気持ち。

もう二度とするまい、と。

そして、同時に食べてしまったものが体外へ出たことに対する安堵も間違いなく存在していて…。

 

それからは、ご想像の通りです。

毎日、二度とするまい、今日が最後、を繰り返すようになりました。

食べ物に対して異常に固執するようになりました。

また食べたいものを我慢しなければいけない、あの辛い辛い日々に戻る、と想像したら、それだけで気が狂いそうになりました。

むしろ、今日を最後にしようとすればする程、「今日が最後だから、好きなだけ好きなものを食べよう」と量がエスカレートしていきました。

 

そのうち、食べる量は信じられないくらいの量になりました。

妊婦さんに例えるのは失礼ですが、もうまるでそのように、お腹がパンパンに膨らむまで食べ続けました。

もちろん、最後の方は、全く美味しいどころか苦しいだけなのに。

 

そして、おそらくこれも過食嘔吐に悩む人たちにとって共通する問題の一つだと思いますが、過食の量が増すに連れ、過食する食材を買うためのお金に苦しむようになりました。

大学生だった私は、親からの毎月の仕送りを使い切ることはなかったのですが、過食のために全て使い切ってしまう有様でした。

アパートも家賃が半分くらいのボロボロのアパートに引っ越しました。

アルバイトもしていましたが、それでも足りません。

両親には、そのうち、「これこれのために必要だから」と嘘をつき、追加の仕送りを頼むようになりました。

嘘をつく度、心が痛み、それでも過食嘔吐が止まらず、また嘘をつき…。

そのうち、嘘をつくことすら慣れる自分に気がつきました。

また、少しでも食材を安く済まそうと、半額セールが始まる閉店時間を狙って、スーパーを数軒はしごするようになりました。

中でもボリュームがあって安い菓子パンを大量に買い込むことが多かったのですが、値引きシールがついた大量のパンが買い物カゴに入っているのを見られるのが、恥ずかしかったためです。

分散させていたつもりでも、ある日、スーパーのレジ係の人に「こんなに細いのに、こんなにいっぱいパン食べるの?」と聞かれたことがあります。

きっと、その人は単純に聞いただけだったのでしょうが、後ろめたさがある私は、もう恥ずかしくて、惨めで、どうしようもない気持ちでした。

その日からそのスーパーに行っても、その人のレジには決して並ばないようになりました。

 

食べたものを吐く自分。

嘘をつくことに慣れてしまった自分。

値引きシールのついた食べ物を求め、スーパーを駆けずり回る自分。

 

本当に見すぼらしく惨めでした。

自分を蔑むようになりました。

そして、過食嘔吐を辞めたい自分と、食べたい欲望のために続けたい自分。

いつも悪魔の自分が勝ってしまうことに降参してしまう方が楽でした。

過食嘔吐に開き直ることで、心の葛藤も惨めな気持ちにも少し蓋をする事ができたのです。

本当の自分はこうじゃないけど、全ては過食嘔吐という依存症のせい。

 

「食べたものを吐くのも摂食障害なんだから、しょうがないじゃない。

嘘をつくのも摂食障害なんだから、しょうがないじゃない。

値引きシールのついた食べ物を買い漁るのも摂食障害なんだから、しょうがないじゃない」

というふうに…

 

こうして、私の貴重な学生生活は、どんどん過ぎていきました。

恋人は一度も出来ませんでした。

生涯にわたるような友人も出来ませんでした。

むしろ、人と深く繋がることを拒絶していました。

暫くぶりに帰省して、痩せこけた私の姿を見てひどくショックを受けた両親すら、はねつけていました。

数回を除き、旅行に行ったり、何かに真剣に取り組んだこともありません。

 

この時期に失ったものは多くあれど、今も最も心に深く残る後悔は、両親への想いです。

両親が毎日毎日、頑張って働いて稼いでくれたお金を、両親が全く望んでいない方法に使ってしまったこと。

そして、誇りに思えるような娘どころか、幾度となくがっかりさせたし、本当に心配をかけたこと。

 

今からでも全く同じ形ではなくとも、自分に関することであれば自分が生きている限り、より良く生きていくことで取り戻せることはあっても、亡くなってしまった父親にはもう何もしてあげることが出来ない。

 

次回からは、実家に戻り、社会人となってからの過食嘔吐期について書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

摂食障害克服編②〜摂食障害の始まり【拒食】

前回までは、私がなぜ摂食障害に陥ったのかお話ししました。

 

時間にすると、私は20年以上という長い年月にわたり悩むことになるのですが、もちろんその間ずっと同じような状態だったわけではありません。

体の変化、心境の変化、症状の変化。

浮いたり沈んだり、もがいたり、まぁ長い長い葛藤の時間でした…

 

今回からは、「どのように変わっていったか」の経緯と、

「それによって何が起こったのか」、を主に書いていきたいと思います。

 

※具体的な描写も含まれますので、今現在摂食障害に苦しんでいて、そういった文字を目にするのが辛い方、またはそれがトリガーになると思われる場合は、読み飛ばしてください。

 

まず最初にいうと、私の摂食障害は、

拒食→過食嘔吐

でした。

カウンセラー、グループ、専門医に助けを求める機会はありませんでした。

 

拒食期(〜3、4ヶ月)

実は、今となっては、はっきり覚えていないのですが、大体3〜4ヶ月くらい拒食期が続いたと思います。

前回にもお話した通り、ことの始まりは遊び半分の食事制限。

例えば、一食の代わりに小さなクッキー一枚でやり過ごす、のようなものでした。

エスカレートするようになってからは、「栄養のことも考えなければ」とお菓子で食事置き換えではなく、栄養素を摂取するようになりました。

…が、それは

朝食;オレンジ半分

昼食:茹で卵1個とミニお惣菜の半分

夜食:残りのオレンジ半分とミニお惣菜半分

といった具合でした。

 

加えて、毎日ウォーキングを始めるようになりました。

一つは、エネルギー消費のため。

もう一つは、夕ご飯時になると、近所から立ち昇ってくる美味しい匂いから逃げるため。

夕暮れ近くになると、ふらふらと家から抜け出し、永遠とあてもなく歩きつづける自分。

 

初めて親元から離れ、1人暮らしを始めた大学生活と言えば、楽しい真っ盛りの時期のはずなのに、私は社交生活からも距離を置くようになりました。

なぜなら、そこに食事の機会が含まれるのが怖かったから。

 

日毎、痩せこけて目ばかりが強調されていく私に、

「なんか、〇〇ちゃん、最近目ギラギラしてるね」と声をかけてくれた友人もいます。

それには、単純に大きくなって見える目のことを言っているだけでなく、ダイエットに取り憑かれた私の異常な目を間接的に警告してくれていたのでしょうね。

ダイエットがエスカレートし始めてからは、間接的はおろか、「ちゃんと食べてる?」もしくは、ダイレクトに「拒食症なんじゃないの?」なんて聞いてくる人は誰ひとりいませんでした。

聞かなくても、何かがおかしいことは明らかで、さらに私は全身から他人からのいかなるアドバイスも拒絶するオーラを放っていましたから…。

 

拒食期の終盤の食欲はとてつもないものでした。

今でも紙にみたらし団子の絵を描いてみて、涙したのを覚えています。

空腹で空腹でしょうがない私の食欲を抑える唯一の心の支えは、体重計の減っていく数値だけでした…。

 

普通の心理状態なら、何のためにここまで、と思うでしょうね。

それが、正常な心の状態と異常な心の状態の境目なんでしょうね。

たた、その境界は本当に曖昧で、私自身、いつ、どのタイミングで「軽いダイエットのつもり」からすっかり呪縛に取り憑かれてしまった状態にはまったのか、言うことはできません。

摂食障害に陥るまでの10代の若い私は、自分はいつも「正常な人間」と思って生きてきました。

でも本来、「正常な人間」、「異常な人間」になんて二分することはできません。

摂食障害以外にも、仕事であったり、人間関係であったり、病気であったり、環境の変化であったり、きっかけは何であれ、「正常で健康な心の状態」から「異常で不健康な心の状態」に陥る可能性なんていとに容易く、いつだって、誰にだって起こり得ます。

摂食障害を患っていた間、自分のことを「異常な人間」だ、と自己否定に陥っていた時期もありましたが、決してそうは思わないてください。

摂食障害は、他の身体に起こりうる病気のように、心の病気です。

そして、健康な状態に治ることだって十分に可能なのです…。

 

拒食期の要約

【行ったこと】

  • 極端な食事制限
  • 毎日、2時間以上のウォーキング
  • 社交生活の制限(特に食事の機会を含む)

 

【身体に起こった変化】

  • 短期間での極端な体重減少
    (3ー4ヶ月で20キロ以上。身長173㎝、約37kg)
  • 髪の毛が抜け始めた
  • 生理が止まった
  • 頻繁な立ちくらみ
  • 肌がカサカサになった
  • 汗をかかなくなった
  • 極端な便秘になった

 

【その他の変化】

  • 異常食欲
  • 友人が離れていった
  • 絶えず、イライラ

 

 

 

 

 

摂食障害克服編① 〜摂食障害に陥る

前回では、20年以上苦しんだ摂食障害を克服することができたとお話ししました。

 

今回からは、私がどのように摂食障害から立ち直るまでに至ったかを数回に分けて、お話ししていきたいと思います。

(※これは、私のストーリーであって、こうすれば治癒するよ、など方法を推奨するものではないことをご了承ください)

 

まず、「なぜ私が摂食障害に陥ったのか」から始めたいと思います。

ちなみに、元の原因を解決することだけが万事克服に直結するとは、私は思っていません。

なぜなら、ある単純な原因から始まったことでも、時間と共に違う原因が追加されたり、形を変えていくこともあるからです。

私のように、時間が長引けば長引くほど…

これは、また後ほどお話ししていきたいと思います。

 

摂食障害と言っても、人により原因や症状は様々のはずです。

よく聞かれるダイエットをきっかけに、にしても、根底にはまた別の理由が隠れている場合もあるかもしれません。

 

私の場合は、大きく3つありました。

  1. 外観コンプレックス。
  2. 日々の喪失感。自己肯定感の低さ。
  3. 身近に摂食障害の人がいた。

 

外観コンプレックス ー

私は、元々細身の体型でしたが、思春期になって体重が一気に増加しても特にダイエットしようと考えたことはありませんでした。

が!自分の高身長は大大大っ嫌いでした。

中学生で170㎝近くまで身長が伸び、当時でその身長は珍しく、クラスの男子だけでなく通りすがりの男子にまで

「デケー女」と吐き捨てられることもありました。

中学生と言えば、異性の目に敏感な年頃。

当時、流行っていた少女漫画の主人公もみんな背の小さい女の子。

その頃、私の中で、

「背の小さい女の子 = かわいい女の子」→

「背の大きい女の子 = かわいくない女の子 = 私」

という構図が出来上がってしまいました。

私は、いつも背を丸めていて、黒板の上部をジャンプして消す女子を横目で羨ましく見ているようなコンプレックスの塊でした。

 

19歳になり、人生で初めて始めたダイエットによって、見た目が細くなりました。

時は変わり、その当時は痩せたモデルが大流行していた時代。

背が高く細くなった私は、急に周囲にもてはやされるようになりました。

コンプレックスだった身長が突然、「強み」になったのです。

私の中で、次は

「背が高くて細い自分 = 価値がある私」→

「背が高いだけで細くない自分 = 価値がない私」

という構図ができてしまいました。

世間が良しとする時々の流行の体型を追い求め、それによって自分の価値を決める罠にまんまとハマったのでした。

それが、自分のアイデンティティであり、ステータスとさえ思い込むようになりました。

そこからは、言わずもがなですが、ただの「デケー女」には戻りたくないという恐怖、ちやほやされるステータスを失いたくない、価値ある自分で居続けなければいけない、というプレッシャーに必死にしがみつく結果、摂食障害に至ったのです。

 

どうか、他人がどうあなたを見るかであなたの価値を決めないでください。

そして、流行りの体型なんてものは、変わります。

 

日々の喪失感。自己肯定感の低さ 

今思うと、外観コンプレックスと同等かそれ以上に、この理由が私が摂食障害に陥った大きな理由ではないかと考えています。

 

私は当時、毎日が面白くありませんでした。

特に大きな不満はないけれど、何に打ち込むわけでもなく、何か情熱を傾けるものがあるわけでもなく、精気、というものは間違いなく感じられなかったと思います。

それは、高校生の頃からです。

念願だった高校に合格したのをきっかけに、プッツリと緊張の糸がきれ、目標がなくなりました。

そうすると、学業でも落ちこぼれになるのはあっという間でした。

落ちこぼれになると、自分は能力のない人間だと思うようになりました。

実際、やる気もなく何かに必死に取り組むこともなかったので、何をしてももちろん成果が挙げられるはずはありません。

で、成果が上がらないから、さらに何もする気が起こらない。

こうなると、もう悪循環です。

高校生活はずっと、そういった延長で過ごし、そのまま大学生になりました。

大学生になり一人暮らしを始め、食生活が乱れた結果、短期間で10キロ近くも体重が増加しました。

ダイエットを始めたのは、その頃です。

ですが、実は、自らダイエットを始めたわけではありません。

それくらい、私は体重に無頓着だったのです。

次に述べますが、身近にいた摂食障害者のダイエットの付き合いで、ちょうど太ってきたし、私もダイエットしてみるかぁ程度の、半ば遊び半分で始めたのです。

 

ところが、体重はスルスルと落ちました。

数値が着実に変わっていくのを見るのは面白く、日々の彩りのない生活に興奮を与えてくれました。

さらにダイエットに拍車をかけました。

すると、さらに体重の数値が落ちました。

体重変遷の折れ線グラフを作り、日々の食事や運動を記録し…と何かに取り組む工程の楽しさ。

そして、それに成果がついてくると、やればできるんだ、という久しぶりに味わった自信と達成感のような気持ち。

数値の変動に陶酔していました。

これが、第二の摂食障害に陥った理由です。

 

– 身近に摂食障害の人がいた 

第三の理由は、理由というより、影響を受けたという方が正しいかもしれません。

先に述べたように、私は身近にいた人の付き合いでダイエットを始めてみました。

すでに彼女が過食嘔吐していることも知ってはいましたが、それに対しては全く理解もなく自分とは別世界のものと思っていましたし、正直ネガティブな感情すら抱いていました。

 

ところが、自分のダイエットがエスカレートし、拒食に陥り、過食嘔吐に進行したきっかけには、彼女を見ていて、そういう解決法もあると思ったのは事実です。

もちろん、人がしているから自分も、は責任転嫁に過ぎず、言い訳がましく聞こえるかもしれません。

ですが、人は周囲から影響される生き物です。自己確立がまだ未熟なうちの若い頃は、特に影響された刺激を自分なりに消化することなく、そのまま適応してしまいがちです。

私が、偏ったボディイメージを煽るような、今日のsnsなどで見るエクササイズコンテンツに危機感を覚えるのもその為です。

話はそれましたが…、以上が私が摂食障害に陥った理由でした。

 

次回は、摂食障害に苦しんだ20年について、触れたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

摂食障害って直るの?

私は今アラフォーにして、学生時代以来、自分史上最大心身ともに健康です。

はい、私は摂食障害を経験し克服しました。

 

摂食障害…

本当に長い間、苦しみました。

19歳の時に発症し、20数年。私の人生のおおよそ半分です。

健康だけでなく、色んなものを失いました。

若いうちの貴重な時間、経験。人間関係。信頼。自信、自尊心…あげればキリがありません。

過去は振り返っても時間が戻るわけでもなく仕方ないと分かっていても、もし摂食障害に陥らなければ、もっと若いうちに別の人生が開けていたんじゃないか?などと悔やむ気持ちは、正直いまだに出てくることもあります。

それでも、今だにもし立ち直れてなかったら?20数年が30数年、40数年、体が壊れてしまうまで続いていたら?と想像すると、苦悩の日々から解き放たれた今に感謝しかありません。

失った分を取り戻すべく、残された人生をしっかり楽しく健康に生きたいと心から思えるようになりました。

 

今、この記事を読んでくれているあなたは、今現在摂食障害に悩んでいる方かもしれませんね。

以前の私と同じように、直る日が来るなんて信じられない、と思っているかもしれません。

でも!

摂食障害は決して直らないものではありません!

実際、私はなぜ自分が摂食障害に陥り、なぜそんなに長い間抜け出せなかったのか、今では自分自身に起きたこととは信じれれないくらいになっています。

 

私は、フィットネスとの出会いが摂食障害を克服するきっかけになりましたが、それが全員に当てはまるとも当然思っていませんし、私はプロフェッショナルのカウンセラーでもなければ、発祥の原因、症状も人それぞれで、摂食障害は絶対に直るもの、と断言することはできません。

ただ、直らないものでは断じてない、ということだけは、自らの経験を通して身をもって言えます。

もし私のストーリーが、例え一人でも今摂食障害に苦しんでいる誰かの何かしらのヒントになったり希望になるのであれは、これ以上嬉しいことはありません。

次回から段階的に書き記していきたいと思います。