摂食障害克服編③〜拒食から過食嘔吐へ【過食嘔吐学生時代】

前回では、私が経験した拒食期について書きました。

今日は、拒食から過食嘔吐に移行した時のこと、そして過食嘔吐に移行した後の生活や、私個人の体に起こった変化、心の状態などについて、前半後半に分けてお話ししていきたいと思います。

 

※前回同様、具体的な描写が含まれますので、現在摂食障害に悩んでいる、または克服していても、そういった文字を目にするのが辛い方、もしくはそれがトリガーになると思われる方は、読み飛ばしてください。

 

私は、拒食期の3−4ヶ月を通して、173センチで60キロ近くあった体重が37キロまで落ちました。

その時の私の一日の摂取カロリーは500キロカロリーも摂取していなかったと思います。

加えて、ウォーキングという負荷の低い運動ではあっても、毎日2時間近く歩き続けて、さらにカロリーを消費しようとしていました。

個人が一日に使うエネルギー(TDEE=一日の総消費エネルギー)は、主に3つの構成要素、すなわち、基礎代謝(RMR)と、活動と運動に使うエネルギー、そして食べ物の消化吸収に使うエネルギー(TEF)からなりますが、私の500キロカリーという摂取エネルギーは、特にまだ若く身長も高い私の体の基礎代謝に必要なエネルギーのおおよそ半分にも満ちていなかったと思います。

 

基礎代謝というのは、皆さん聞いたことがあると思いますが、心肺機能や呼吸を維持したり、細胞を新しく作り修復したり、体温や体の水分バランスの維持などの体の恒常性を保ったりする、生命を維持するために必要なエネルギーです。

そして、それに必要なエネルギーを体に与えてあげないということは、文字通り命を削っていたのです。

前回も述べましたが、その証拠に、まずは生命維持に最重要ではない生殖機能である生理が止まり、髪の毛を新しく作ることもままならないために髪の毛が薄くなり、真夏というのに暑くもなく汗もかかず、と体が外から内から全身で異常を現し始めていたのです。

 

そして、とうとうある日、私は電車を待っている時に足元から崩れ落ちました。

唾液のようなものが込み上げてきて、視界が暗くなり、うずくまったまま立ち上がることが出来ませんでした。全身が震えていました。

近くにいた親切な女性がすぐに駆け寄ってきてくれたのを覚えています。

自分でも初めて体験する体の異変が恐ろしく、どう対処していいのかも分からず、ただその女性が「救急車を呼びましょうか?」と言ってくれた申し出には、必死に抵抗していました。

どれくらいの時間そうしていたのか覚えていませんが、幸いしばらくすると回復し、家に帰ることが出来ました。

私は、その日初めて、「このままだと死んでしまうかも」、「もっと食べなければ」と決意しました。

 

もっと食べよう、と決意したすぐ翌日だったのかどうかは覚えていませんが、それは買ってきた食糧を全て食べてしまった日のことでした。

そこには、もう何ヶ月も我慢に我慢を重ね食べずにいたお菓子もありました。

量にすると、そんなに大した量ではなかったはずですが、すっかり食べないことに慣れていた私の胃と精神状態では、自分がとんでもない量を食べてしまったような気がして、途端に恐ろしくなりました。

 

私は、身近に過食嘔吐をしていた人がおり、それに対してネガティブなイメージを持っていました。

拒食と過食嘔吐が密接な関係にあるのを知りつつも、私はそうはなるまい!と拒食期から思っていました。

ところが、食べ過ぎたことへの嫌悪と吐き出してしまいたい気持ちは、そうした決意よりも、もっともっと強いものでした。

むしろ、「〇〇もしているんだから、私も今日の一度くらい、いいよね…」と、今から自分がしようとしていることへの罪悪感を打ち消すための理由づけにしていました。

 

そして、私は、人生で初めて食べたものを自ら戻す、という行為をしました。

過食嘔吐に悩む人たちが初めて過食嘔吐した後に泣いた、というのをその後、よく目にしましたが、私もそうでした…。

人として、汚れてしまったような気持ち。

もう二度とするまい、と。

そして、同時に食べてしまったものが体外へ出たことに対する安堵も間違いなく存在していて…。

 

それからは、ご想像の通りです。

毎日、二度とするまい、今日が最後、を繰り返すようになりました。

食べ物に対して異常に固執するようになりました。

また食べたいものを我慢しなければいけない、あの辛い辛い日々に戻る、と想像したら、それだけで気が狂いそうになりました。

むしろ、今日を最後にしようとすればする程、「今日が最後だから、好きなだけ好きなものを食べよう」と量がエスカレートしていきました。

 

そのうち、食べる量は信じられないくらいの量になりました。

妊婦さんに例えるのは失礼ですが、もうまるでそのように、お腹がパンパンに膨らむまで食べ続けました。

もちろん、最後の方は、全く美味しいどころか苦しいだけなのに。

 

そして、おそらくこれも過食嘔吐に悩む人たちにとって共通する問題の一つだと思いますが、過食の量が増すに連れ、過食する食材を買うためのお金に苦しむようになりました。

大学生だった私は、親からの毎月の仕送りを使い切ることはなかったのですが、過食のために全て使い切ってしまう有様でした。

アパートも家賃が半分くらいのボロボロのアパートに引っ越しました。

アルバイトもしていましたが、それでも足りません。

両親には、そのうち、「これこれのために必要だから」と嘘をつき、追加の仕送りを頼むようになりました。

嘘をつく度、心が痛み、それでも過食嘔吐が止まらず、また嘘をつき…。

そのうち、嘘をつくことすら慣れる自分に気がつきました。

また、少しでも食材を安く済まそうと、半額セールが始まる閉店時間を狙って、スーパーを数軒はしごするようになりました。

中でもボリュームがあって安い菓子パンを大量に買い込むことが多かったのですが、値引きシールがついた大量のパンが買い物カゴに入っているのを見られるのが、恥ずかしかったためです。

分散させていたつもりでも、ある日、スーパーのレジ係の人に「こんなに細いのに、こんなにいっぱいパン食べるの?」と聞かれたことがあります。

きっと、その人は単純に聞いただけだったのでしょうが、後ろめたさがある私は、もう恥ずかしくて、惨めで、どうしようもない気持ちでした。

その日からそのスーパーに行っても、その人のレジには決して並ばないようになりました。

 

食べたものを吐く自分。

嘘をつくことに慣れてしまった自分。

値引きシールのついた食べ物を求め、スーパーを駆けずり回る自分。

 

本当に見すぼらしく惨めでした。

自分を蔑むようになりました。

そして、過食嘔吐を辞めたい自分と、食べたい欲望のために続けたい自分。

いつも悪魔の自分が勝ってしまうことに降参してしまう方が楽でした。

過食嘔吐に開き直ることで、心の葛藤も惨めな気持ちにも少し蓋をする事ができたのです。

本当の自分はこうじゃないけど、全ては過食嘔吐という依存症のせい。

 

「食べたものを吐くのも摂食障害なんだから、しょうがないじゃない。

嘘をつくのも摂食障害なんだから、しょうがないじゃない。

値引きシールのついた食べ物を買い漁るのも摂食障害なんだから、しょうがないじゃない」

というふうに…

 

こうして、私の貴重な学生生活は、どんどん過ぎていきました。

恋人は一度も出来ませんでした。

生涯にわたるような友人も出来ませんでした。

むしろ、人と深く繋がることを拒絶していました。

暫くぶりに帰省して、痩せこけた私の姿を見てひどくショックを受けた両親すら、はねつけていました。

数回を除き、旅行に行ったり、何かに真剣に取り組んだこともありません。

 

この時期に失ったものは多くあれど、今も最も心に深く残る後悔は、両親への想いです。

両親が毎日毎日、頑張って働いて稼いでくれたお金を、両親が全く望んでいない方法に使ってしまったこと。

そして、誇りに思えるような娘どころか、幾度となくがっかりさせたし、本当に心配をかけたこと。

 

今からでも全く同じ形ではなくとも、自分に関することであれば自分が生きている限り、より良く生きていくことで取り戻せることはあっても、亡くなってしまった父親にはもう何もしてあげることが出来ない。

 

次回からは、実家に戻り、社会人となってからの過食嘔吐期について書いていこうと思います。