摂食障害克服編⑤〜摂食障害を乗り越えて【完結編】

今日はいよいよ、私が摂食障害を克服したお話についてです。

 

私は、ここまで自分が経験した摂食障害について色々書いてきましたが、いつも誰が私のこのブログ記事に辿り着いて読んでくれているんだろう?と想像しながら書いてきました。

あなたは、今現在摂食障害に悩んでいるのですか?

それとも摂食障害に悩む人のご家族であったり、助けになってあげたいと思っている人ですか?

もしくは、偶然目にしているのかもしれませんね。

 

摂食障害の原因、症状は様々ですし、克服するきっかけもまた様々でしょう。私の克服体験記が他の誰かの克服にそのまま応用できるとは思っていません。

ただ、それがたとえ一人でも、何かしらのヒントになってくれればとの思いで、これから完結編を書いていこきたいと思います。

 

<私が摂食障害が治った理由>

私は20年以上という長い年月、摂食障害に苦しみました。

完全克服には半年もかかりませんでした。

克服というと、ちょっと違うかもしれません。

なぜなら、その時は「克服しようと!」と決意をして、何か行動を変えたわけではないからです。

 

皮肉なものですね。

私は、それまで幾度となく涙と共に、「もう、こんな生活は嫌だ、これを最後にする!」と心に誓ってきたものです。

引っ越ししたり、長旅に出たり、関心を逸らそうと新しいことを始めてみたり、自分なりに策を練って、色々試しもしました。

本当にありがたいことに、支えてくれる家族や大切な人たちもいました。

その大事な人たちを悲しませたくない、愛情や期待を裏切りたくない、という思いからも何度乗り越えようと決意したかも分かりません。

ですが、固い決意や努力も、環境の変化も、愛情をもってしても、一時的には症状が収まっても完全克服に至ることはなかったのです。

 

それが今までのもがきや苦しみは何だったのかと思うくらいに、いとも自然と治っていったのです。

そんな魔法みたいな、何だか嘘くさい、と思われるかもしれませんが、むしろ、今は思います。

治る時はむしろ自然で、治ろうともがく時は難しいのではないかと。

それなら、治ろうと努力したって、もがいたって無駄じゃないか、ということではありません。

 

私が治った理由。

それは、

「食べ物への考え方が全く変わり、自分の体を心から愛するようになった」

の一言に尽きます。

え、何それ?と思いましたか?

 

もちろん、自分が治りたいという気持ちも、治ろうと行動することも、家族や大切な人たちへの愛情もかけがえのないものです。

それらをきっかけに克服できた人もいると思いますが、できていないとしてもそれは意思の弱さではありません。

私も都度、克服失敗するたびに、自分を責め、自信をなくし、自分は何て弱いダメな人間なんだ、と自身に嫌気がさしていましたが、今はそうは思いません。

実際、私は意思の力に関係なく克服したのですから。

意思の力ではどうにも抜け出すのが困難なのが、この病気の特徴だと私は思っています。

必要に迫られたり外的要因のために「過食嘔吐を辞めなきゃ、体重を気にするのを辞めなきゃ、〇〇しなきゃ、〇〇しちゃ、いけない…」では、一時的に改善はされても長続きすることは難しいと思っています。

 

私は内から「身体を労ってあげたい」という思いが強く芽生えるようになって、「吐いちゃダメ、吐くのを辞めなきゃ」から「吐く行為をしたくない」と自ら願うようになりました。

それらの内なる心の変化は、すぐに芽生えたのではなく徐々に育っていきました。

そして、私にとってのそのきっかけとなったのがフィットネスとの出会いです。

 

<フィットネスとの出会い>

私がエクササイズを始めようと思ったのは、ごくごくどこにでもありそうな運動不足解消という理由です。

コロナが深刻化し、外出規制が敷かれ在宅勤務になったためでした。

きっと、その頃に運動を始めた方も多いのではないのでしょうか?

その頃は、拒食期や過食嘔吐期初期とは違い標準的な体重があり、体型に異常なまでの執着があったわけでもないのですが、それでも太ることには抵抗がありました。

(それでも過食嘔吐が続いていた理由は、前編でお話ししています。)

 

太りたくない、以外に特に運動することに目標はありませんでした。

もし、外出規制や在宅勤務が短期的なものであれば、私の運動習慣もすぐに終わっていたと思います。

ところが、なかなか収束しないものだから、とりあえず運動も続けるといった具合に運動していました。

少しずつでも毎日続けるうちに、なんとなく習慣化されていました。

すると何が起こったか。

過食嘔吐する頻度が激減したのです。

過食嘔吐をすると、体力を消費します。

そして、私は在宅と言えど、日に10時間働くこともありましたから、そこからしばらく休んで、さらに休み休みマイペースで運動をすると、もうけっこうな時間になっている上に体もクタクタです。

さらにそこから過食の食材を買いに行き、過食嘔吐するとなっては時間もエネルギーも残っていなかったのです。

 

そして、運動を続けるうちに何が起こったのか。

お腹がすごく空くようになりました。

、、、ふざけているように聞こえるかもしれませんね。

ところが、私にとっては、すごく新鮮なことに感じました。

その頃には、運動量も少し増したのもあって食欲のレベルが段違いなのです。

そして、食べても食べてもお腹が空く。

むしろ食べなければ、運動中になんとも体が持ちません。

体の方から「足りないよー、食べ物送ってよー、じゃないと、うまく動いてやらないよ」と要求を送られている感覚です。

食べ物への意識が少しずつ変わった瞬間でした。

それまで、過食嘔吐していたくらいですから、食べ物へ異常なまでの執着がありました。

食べたい食べたい食べたい食べたい、と。

でも、食べ物を愛していませんでした。むしろ、敵でした。

 

さらに運動を始めた当初は、突然運動を始めたものですから、足や膝の関節が痛んだり、少し飛んだり跳ねたりするだけで、心臓がバクバク呼吸がゼーゼー、といった具合でした。

汗が絞れるほどかくのも普段の生活ではないことでした。

心臓も呼吸も苦しいのに、逆にそれが生きている実感を感じさせてくれました。

ドクンドクン…一生懸命動いてくれてるな…と。

体の痛みは、体が痛くないことのありがたみを思い起こさせてくれました。

運動をするうちに、体の一つ一つ、内から外から私のために動いてくれていると思ったら、自分の体が愛おしくてしょうがない気持ちになりました。

今までは、自分の体は自分のもの、としか思っていなかったのが、急に自分であって自分とはまた違う存在のように感じるようになりました。

今まで私が体にしてきたことを思うと、本気で「ごめんなさい、カラダさん」と抱きしめたこともあります。

 

そうなると、食べ物への向き合い方はさらに変わっていきました。

過食のための材料としての食べ物から、運動するための燃料としての食べ物に変わり、さらには大切な「カラダさん」に機能してもらうための栄養源としての食べ物に変わりました。

 

今では、食べ物を心から愛し、感謝しています。

そして、「私の所有物である体」から「私のために日々動いてくれるカラダさん」に変わった自分の体を心から愛し、感謝しています。

 

私は、今も運動を続けています。

でも、それは、もはや自分の体型や体重が嫌いだからするのではありません。

自分が死ぬ瞬間までお世話になる体を愛し、労ってあげたいから運動をします。

そして、そう思えるようになったきっかけであるフィットネスにも心から感謝しています。

 

これが、私の摂食障害が治っていったストーリーです。

繰り返しになりますが、特に体型へのこだわりが一因に絡んだ摂食障害の場合はフィットネスが私だけでなく多くの摂食障害者を克服に導いているのも事実ですが、単純にフィットネスを始めれば治癒するかもしれないよ、と勧めている訳ではありません。

 

きっかけは何であれ、摂食障害に苦しむ人たちが自分の体を心から愛おしいと思う日が来ることを願ってやみません。

そうすれば、自ずと食べ物は敵ではなく、最強の味方になるはずですから…。